子育て、部下育てをしていて最近つくづく思うこと、それは怒っても叱ってもあまり意味が無いと言うこと。
人を育てる立場にいると、どうしても熱が入ってしまったり、自分が出来ることを思うように出来てくれないことに苛立ちを感じたりしてしまうことがあります。
そんな時、子供や部下、後輩たちにどのように接するか。
許す、認める、待つ、信じる、環境を創り出す、そんなことしか出来ません。
出来ないと言うよりも、そんなこと以外はそんなに意味が無いのでは無いかと思います。
今までなんであんなに怒ってみたり、叱ってみたりして結果を焦っていたのだろうかと反省です。
すぐに結果を出すこと、その根底に自分が中心になっていませんか?
自分はなっていました。
子供、部下、後輩を育てる立場にあれば、その人たちが育つことが自分の評価であったり、自分の満足であったりする。
要するに教えて、育てる立場の人間が、自分のことを中心に考えてる時点で教育の精度は上がらない。
これが結論。
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よく言われることとして、怒らずに叱れとも言いますが、叱ることもそんなには要らないかなと思います。
本当にポイントの時にさらっとで十分。
自分のことはさておき、そうなれたところから教育者としてのスタート地点では無いかなと思います。
そして、相手の性格、ポテンシャル、タイミング、そんなものに合わせて寄り添っていく。
人の本質的な欲求として成長したいと本人が本気で思い、動き出す、そしてトライアンドエラーを繰り返す、それをそっとあたたかく見守る。
そんなことに気がつき始めたら、怒ったり叱ったりすることの無意味さを感じて、やらなくなってきました。
怒ったり、叱ったりすることは自分にとっても気持ち良いものではありませんし、相手にとってももちろん気持ち良いものではありません。
だから、人に教え育てる時には怒っても叱ってもあんまり意味がありません。
そっと温かく寄り添って、自分中心ではない長期目線で見守っていきましょう。
気が付けばみんな自分の個性を出して、勝手に自由に成長がどんどん進むようになりました。
顔色が全然違います。
何かに怯えることなく、とてもおおらかな雰囲気でありながら、一生懸命にチャレンジを楽しんだり、毎日を楽しんでいるようになりました。
親の接し方1つでこんなにも子供の雰囲気が変わるのかとびっくりするくらい。
子供は本当に親の鏡なんだと反省しました、いちいち怒っても叱ってもほぼ意味がありませんでした。
愛情を持って見守ってあげる、教えたいことは優しくコンパクトに伝えるだけ、あとは子供が成長を待つ。
子供たちに威圧感を与えないようなスタンスを取るようになったら、親が小言を言わなくても、子供たちが必要な時に親によく聞いてくるようにもなりました。
子育てで、親が育てられているとつくづく感じます。
家族の雰囲気もとっても良くなりました。