長男がもうすぐ11歳になる頃、当然父としての自分ももう11年になります。
そんな年月が経ってもずっと後悔が止まないこと、それは子育てに必死で子供が幼い時に何度も叩いてしまったこと。
圧倒的に弱い立場の人への暴力です。
誰からも暴力をされたことの無い自分が、気が付けば子供を叩いていました。
その時は本当に子供のためを思って、必死に良くなって欲しいと思ってやっていたはずです。
でも子供の人数が一人、二人、三人、四人と増えて、みんなが成長していくに連れて、暴力とは全く無意味で、子育てとして良い面が何一つないことを痛感しました。
むしろ良くない影響しかありません。
これは絶対です。
今まで生きて来て後悔ということはあまり考えたことがありません、失敗は次に生かす教訓となるので、失敗も良いことだと。
それと同じで、子供への暴力も良い教訓にはなっていますが、子供達にとって一生残る経験になってしまうのだろうと考えると、このことは後悔が抜けません。
傷を負わせるような叩き方、暴力はもちろんしていませんが、力で子供を押さえつけていました。
子供に暴力を振ってしまったことは一生背負う後悔と懺悔の気持ちです。
そう気付き、もう何年も同じことを繰り返さないように教育の考え方を改めましたが、数年前にふと長女、次女から怒られる時に別の部屋に連れて行かれてとても怖かったと言われたことがあります。
二人がまだ幼稚園、または幼稚園前の頃だったと思いますが、その子達が小学生になってから言われました。
まだまだ子供と大人は思っていても、本当は生まれながらに立派な一人の人間です。
よく世の中を見ています、かなり昔に暴力を振るってしまったり、圧力をかけてしまっていたことをはっきりと子供の口から言われた時は本当にドキッとしました。
世界平和を願っているなんて自分で言っていながら、自分の子供を叩いて、圧倒的な力でいうことを聞かせる。
それは本当に自分が未熟な人間で恥ずかしくなりました。
その後悔の念がどうしても日々頭をよぎっていたので、もう数年前ですが子供達みんなの前に行って真面目に頭を下げました。
本当にごめん、何度も叩いたりして本当にごめんなさいと。
やってしまったことは取り消せないけれど、今までやっていたこと、父ちゃんがやっていたことは間違っていたと伝えました。
父ちゃんも子育てが初めてで分からない事ばかりで、必死になって毎日を過ごして、子供達に可哀想な思いをさせてしまって本当に反省している。
真面目に子供たちと向かい合って、目を見て謝罪しました。
子供達はあっけらかんと分かったよ、いいよとは言ってくれましたが、これからが本当の子育て、教育をしようと強く思いました。
過ぎてしまった日々は戻せないけれど、今からの未来はこれから作れる。
だからとことん愛情を持って接して行きたい、子育てはやるものではなくて、させて頂くもの。
子育てを通して自分を成長させてもらえる大事な先生達、それが子供達。
子供達が居てくれて本当に感謝、ありがとう。
親と子供は対等で良い、むしろ我が家は子供の方が優秀かな。
このような後悔と反省を自分の心に深く刻み、改心してから1年、2年と経過したら、子供たちが変わってくれました。
とても自由でのびのびと毎日を楽しそうに過ごしています。
でも1点注意すべきこと、それは少しも昔の怖い雰囲気を出さないこと。
確実に昔の親が怖かったイメージはずっと残ります。
ただ、長い年月をかけて子供たちが安心してくれるようになりますが、1回でも恐怖心を感じさせてしまったら、また子供たちは殻に閉じこもってしまいます。
それは子供自身が自分の身を守るための自然な反応です。
怒った雰囲気を出さない、イライラしない、子供がやることにいちいち口出ししない。
いつも優しく、目を見て話を聞いてあげる。
先ずは子供にとって親は心底安心できると思ってもらわないと子供らしさ、その子の良さは出てきませんでした。
でも、過去の自分を変えれば、長い時間がかかっても必ず良い親子関係に戻れることは間違いないと感じました。
自分が変われば、子供も変わる、たくさん失敗しても、間違っても良いから、ゆっくりと成長を見守ってあげれば良かっただけです。
子育てで1番やってはいけなかったこと、親として1番後悔していること、それは「暴力」でした。
この「暴力」は肉体的な暴力だけではなく、言葉の暴力も全く一緒です。
子供が安心できるような接し方を親がずっとするべきでした、親は子供の鏡です。
親が変われば子供も必ず変わります。
今が一番早いタイミング、いつでも気がついたその時、その日から直せば子育てがもっともっと楽しくなって、子供たちの成長ももっともっと加速していきます。